長いシャワーを浴びるわけ

 杉浦は三年も「好き」と言わない。「好きか」とも聞かない。信じられるか? 四六時中一緒にいるのに、もう三年も、あいつは口を閉ざしているのだ。おれもおれで、「好き」なんて言わない。「好きか」なんて聞くはずもない。けれど、言われたら、聞かれたら。おれはどう答えるのだろう。

『桐山…"かなた"?』
『は…? ああ、はい』
 他人にとつぜん自分の名前を呼ばれたら、誰だって面食らうだろう。けれどもおれは、この珍しい名前のせいで、幸か不幸かこういうことは慣れている。窓口の向こうの男に、おれは一般的な社会人としての笑顔を向けた。
『変わった名前ですよね。自分で言うのも変なんですけど、女の子みたいというか。はは』
『えっ…いや、す…すいません』
 男は自分の迂闊な発言に赤くなったのか、大きな身体を縮こませた。
『ところで、今度はどこが壊れたんですか? 杉浦様』

 ガシャン、と大きな音がした。おれは没頭していたオリンピックの柔道決勝から目を離して、台所の方を見る。
「なにやってんだ」
「す…すいませえん」
 情けない声とともに、杉浦がバタバタと風呂場の方へ走っていった。そうしてどこから見つけたのか、すぐに雑巾を持ってまた走ってくる。おれは杉浦より一歩早くカウンターの内側に回って、床に広がった惨状を眺めた。
「あ〜、もったいね」
「ああ、桐山さん、ちょっとどけててください、すんません」
 うしろであたふたしているその男を無視して、おれは鍋ごと飛び散ったホワイトシチューを人差し指で掬い取り、べろっと舐める。いつもの通り、美味だ。
「あっ! ちょっ…なにやってんすか、汚いから! おれ片すんで、アンタはあっち行ってて、ほら」
「ぴーぴーうっせえなあ…あ、つうか、鍋にけっこう残ってんじゃん。余裕余裕」
「え! いいよ、新しいの作るし…」
「何言ってんの? おれはこれが食いたいの。おら、食うぞ」
 おれが斜めに転がった鍋を指差して立ち上がると、杉浦は不服なのか嬉しいのか分からない顔をして、ぎゅっと肩をすくめた。おれはそれを見てぶっと噴き出した。
「なんすか。何がおかしいんですか」
「いや…はは、は! お前それ、くせだろ。キモい…犬とか、動物みてえ」
「動物はないでしょ」
「だって、最初に店に来たときもさあ」
「……」
「お前、また壊れたーっつって、三ヶ月のあいだに三回も持ってきたよな、携帯電話」
「…忘れてくださいよ」
「この三年でつくづく思うよ、お前はどんだけうっかり屋さんなんだ」
「それは」
 杉浦の言葉を遮って、けたたましい歓声とアナウンサーの熱のこもった叫び声が聞こえた。おれは瞬時にその存在を思い出す。
「あ…あー! なに、ウソ、金!? 勝った! 一本だって! クソ! てめえ!てめえのせいで見逃したじゃねえか!」
 おれは意外と熱いのだ。表面的には、クールを気取っているけれど。

『ああ…これはちょっと保証外になりますね。部品取り寄せなんですが、税込みで3150円頂く形となってしまいます』
『…そうですか…』
 たいして落ち込んではいない様子で、杉浦は曖昧に笑った。あまりに不注意だから、携帯電話に飽き足らず、電化製品を壊すのに慣れてしまっているのかもしれない。おれは内心、鼻で笑った。
『まあ、へこんでるのは外蓋だけなんで機能に問題はないとは思いますが…バックアップを無料でお取りするサービスもございますけど、やっときますか? これ、かなり強くぶつけたでしょう?』
『え? いや…そ、そんなことはないですけど…』
『…変だなあ。僕もこれと同じ機種なんですが、一度も壊れたことないんですよ』
 杉浦はぱっとおれを見て、ちょっと身を乗り出した。なにぶん身体がデカイので、横にあった客用の飴玉入れから、ソーダ味のキャンティがことんと落ちる。おれは皮肉が通じてしまったかと焦って、ちょっと身構えた。
『じゃあ……俺、かなたさんと、おそろいなんですね!』
『……は? はあ』
 何だこいつは。気持ちが悪い。おれはそんな目で相手を見たつもりだったが、あいにくこの杉浦という客にはその手の嫌味は通じないらしい。しかし奴は、自分の猛然とした勢いにはさすがに気付いたようすで、いちど椅子に座りなおした。こういう、外ヅラだけは変に整っている人間は、たいてい中身が少しおかしいのだ。ああ、なぜ、今日に限って順番待ちの客がいないのだろう。
『……すいません』
『はあ』
『でも、おそろいつながりで、その、め、メルアドとか教えて欲しいんですけど』
『……』
『ば! 番号でもいいです……』
『……』
『…だめですか?』
『……っ』
 何だこいつは。面白い。おれはこの後、盛大に噴き出した。クールを気取っているけれど、おれは意外とこういうのに弱いのだ。

「…お前、今日は帰んねえの?」
「え……あ、帰……りますよ?」
「あ? ああ……そう? ふうん」
 帰れという意味で言ったのではないのに、こいつはすぐにこんな顔をする。言動もまだ挙動不審だ。三年も居ればすこしは相互理解も進むはずだが、杉浦は未だにおれに慣れていないようだ。そもそも、杉浦が帰ろうが泊まろうが、おれはどちらでも構わない。今更あいつに抱かれるのが嫌だ、なんて、おれが言い出すとでも思っているのだろうか。
「お前さあ」
 そう言ったところで電話が鳴った。この着信音はおれの携帯だ。おれが携帯電話を買い替えるたびに杉浦も同じ機種を持ち出すから、着信音を変えても分かり辛い。はじめはいい迷惑だと思ったが、面倒だからもう言わないことにした。
「もしもし──ああ、鳴海? なによ。え? 今? 無理。え? いや…めんどくさいもん。うん、うん、あー…、今度な。ああ、うん、え?え? まじ? あーじゃあ、行くわ。うん、うん。30分くらい…ああ、ハイ。分かった。じゃ」
 おれは電話を切って置くと、さっさと寝室のクローゼットに向かった。外出用のTシャツに着替えてリビングに戻る。杉浦は帰ると言うし、丁度良く誘いが入ったと言うべきなのだろうか。
「んじゃ、ちょっとおれ出るから。ごっそーさん」
「うん」
 おれは携帯を掴んでポケットに入れると、玄関でスニーカーの紐を結ぶ。
「あ、明日も来んなら、歯磨き粉買っといて」
「ああ…はい」
「…あ」
「…え?」
「そういや、こういうのもあったよな」
「…?」
「"歯磨いてたら、水ん中落として壊しちゃいました"ってやつ」
「…忘れてくださいよ」
「うははは」
 後を向いてドアを開けていたから、杉浦も笑ってるんじゃないかと思ったのだ。
 …結構うまくやってると思っていたのは、おれだけだったのだろうか。

 ゲイなんです、と言われたとき、何を今更、と思ったのを、奴は今でも知らないままなのだろう。決死の覚悟で告白したという顔だったから、おれは何となくそれを言いそびれてしまった。当然、先に続く言葉も予想できている。おれはもう25歳で、杉浦はまだ大学生だ。4歳かそこらの人生経験の差は、ここらへんに出るものだ。
『それで…あの、か、かなたさんが、す、好きなんです』
 それでも、男に愛を伝えられた経験なんてないおれは、内心ではそれなりにどぎまぎした。どぎまぎしても、それは恋愛のトキメキとは違う。
『悪いけど、おれ、杉浦さんとは…ていうか、男とは…恋愛はできないと思います』
『……。……で、すよね』
『……』
『……』
『……なんつうか、興味、ないわけじゃないけど…』
『え?』
『え、いや』
『興味あるんすか?』
『まあ、でも、なんていうか』
『…俺が好きですって言ったの、気持ち悪いとか、思いました?』
『え? いや…それはねえけど』
『じゃあ、試してみません?』
『試して…?』
『いいじゃないですか、興味あるなら』
『……』
 おれはまだ25歳で、若かった。俳優並とはいかないが、街を歩けば目に付く程度に整った外見を持つこの杉浦に、こんなにも必死に口説かれる自分というのも、また小気味が良かった。大学を卒業し大手電気通信会社に就職して三年になる、そんな今までの人生も悪くはないが、こんな経験もなかなか劇的だ。おれはこのときは、そんな程度に思っていた。
『えーと…怖いですか?』
 ホテルのベッドでおれの髪をタオルで拭きながら、杉浦がおどおどと言った。本当は身体を洗ってさっさと上がるはずだったのだが、つい出そびれて、髪まで洗ってしまったのだ。景気付けにバーで何杯か飲んだ度数の高いカクテルも、長いシャワーで今はすっかり抜けてしまっている。
『は? 怖かねえよ。なめんな、ガキが』
『……。かなたさんを見たとき、すげえきれいだと思ったのに…。ぶりっ子だったんですね…』
『はーん。一目惚れかよ。じゃあ、幻滅じゃん』
『幻滅はしてません』
『……』
『ギャップが可愛い? みたいな?』
『……そうかよ』
 溜息をつくと、杉浦がちょっと笑った。灯りを落としているが、声と違って、あまり楽しそうな笑顔ではなかった。
『安心してください』
『あ? なにを…』
『恋愛してくださいとか、言いませんから』
『……そ、っ…』
 返した言葉は、粟立つ首筋の感触に掬われてしまった。




 *


 肌にまとわりつくような温度が、先回りするようにおれを囲った。つい20分前までクーラーの効いた場所に居たというのに、どうして出てきてしまったのだろう。そんな後悔さえ過ぎったが、あとの祭である。こんな夜中に出てきたのは、大学時代の友達である鳴海が何か報告したいことがあると言うからだったが、そうでなかったら杉浦が来ているときにわざわざ外出などしなかっただろうに。自分の外出が無ければ、杉浦はあのまま泊まっていったのかもしれない。そんなことを考えながら四駅ほどで到着した繁華街は、深夜でも賑わって騒々しく、目当ての居酒屋を目指しておれは人の波をかいくぐる。
「あれ…歌舞伎町の…どこだっけ、和民っつったっけ…」
 うろ覚えの電話の声を思い出そうとするも諦めて、鳴海に電話を入れようと、おれはぼやきながら尻ポケットから携帯電話を取り出した。ぱかりとそれを開けると、その瞬間、げ、と思わず声が漏れる。おれのじゃない、これは、杉浦の携帯電話だ。
「ああくそ、もー…」
 仕方なく、自分の番号を入力して通話ボタンを押すと、表示されたのは「かなたさん」という名前だった。それを見て、おれはふと思い出した。杉浦から告白されてホテルに行った三年前のあの日以来、あいつはおれを桐山さんと呼ぶようになったのだ。おれと揃いの携帯電話では、今も変わらず名前を呼んでいるのに。
「はあ、なにあいつ…」
 10コール目で留守録に変わったアナウンスを聞きながら、おれは何だか無性に腹が立ってきた。三年間、ほとんど四六時中そばにいるのに、あいつは今でもいじらしい。何も言わない、何も聞かない。そういうところに、腹が立つのだ。一言、言ってやらなければ気が済まない。そもそも、携帯がないと、約束の居酒屋に行くこともできない。おれはくるりと踵を返して、もと来た駅へと向かった。
 杉浦の家は、うちから地下鉄を3回乗り換えたところにある。二年ほど前に一度だけ名前を聞いた駅に辿り付いたはいいものの、肝心の住所が分からない。おれは出口の階段を上がったところで、呻きながらしゃがみこんだ。乗り換えのあいだひっきりなしに電話を慣らしたが、杉浦は一度も出ない。それどころか最後の電話は2コール目でぷつりと切られてしまったのだ。携帯が奴の手元にあるということは分かりきっていた。腹立たしさと情けなさが入り混じった気持ちで顔を上げれば、まわりは住宅地らしく、駅出口を出たところはほとんど何も無い。終電が行ってしまったことを考えると、おれは少々不安になって、またもや頭を抱え込む。
『桐山さんとこは栄えてていいすね。俺んとこはまわり何も無くて…』
「……あ……」
 ふとおれは、記憶中枢の奥の方から、二年間以上も埋もれていた杉浦の声を発掘する。
『あ、でも俺んち、"さだはち"の向かいなんすよ』
『あ、ラーメンの?』
『そう。休みの日なんて行列すごいっすけど、味は普通かな』
 おれは携帯ショップ店員のスキルを十分に活用して、「さだはち」の位置を杉浦の携帯電話で調べた。同じ機種を使っていたことをこのときばかりは感謝しながら、GPSで駅から3分もないことを確認したおれは、瞬時に走り出す。シャッターを締め切った「さだはち」の向かいには、マンションはひとつしか無かった。おれは腕時計を確認する。午前0時11分。責任はすべて杉浦にとってもらおう。
「杉浦あああああ! す、ぎ、う、ら、ま、さ、しいいいい! おおおい!!! おれが来たぞおおお!!!」
「…っ、……っ、………っ!?」
 下から四つ目の窓から顔を覗かせた奴の表情は、今まで見たどれよりも狼狽していた。困っているのはおれなのに、今にも泣きそうな顔をしてやがる。

『そう。休みの日なんて行列すごいっすけど、味は普通かな』
『まじで? おれ結構とんこつ好きなんだけどなあ』
『ほんとに? じゃ、明日食いに行きません?』
『あ、明日は無理。恵美と遊びに行くから』
『あ……今の、彼女すか』
『ああ、うん。まあ、続くかどうかは分からんけどな』
『……続くといいっすね。あ、今回も巨乳?』
『いや? …つーか別におれ、巨乳がタイプとかじゃねえもん』
『素直じゃないなあ』
『うっせえなあ。お前が居る限り下半身の処理は心配ねえだろが』
『……。それもそうです、けど』
 ラーメン屋の記憶とともに思い出した会話には、最低最悪のおれが居た。あのとき一緒に笑っていると思いこんでいた杉浦は、どんな顔をしていたのだろうか。

「携帯を返せ」
「……」
「返せ」
「……嫌です」
 返って来た言葉に、おれは突き出した右手を空しく下に降ろす。当然ながら杉浦の部屋に入ったのは初めてだったのだが、部屋を眺める余裕もない。
「……じゃあおれもこっち返さねえからな」
「いいですよ。もともとそのつもりっすもん」
「はあ? なに…」
「どうせバックアップとってあるんでしょ? 人に勧めるくらいだもん」
「もんもん言うんじゃねえ! さっさと返せ!」
 おれは降ろしたはずの右手をぐいとまた突き上げて、杉浦の胸元にどんと押し付ける。
「…何で来たんすか!」
 自分は怒鳴っていたというのに、杉浦のほうに声を張り上げられたおれはかなりびっくりして、少し後ずさった。
「…っ、な、なん…」
「荷物も全部持ってきたでしょ!? 手紙も置いてきたし!」
「……」
「三年も一緒だったんだから、せめて携帯くらい貰っても、別にいいだろ…!?」
「……」
「……」
「……いや…荷物とか手紙とか、帰ってねえから知らねえけどさ……」
「え? あ……そうなん、すか……」
「……」
「……」
「……とにかく、帰ってください」
「…終電ねえもん」
「じゃあ、タク代払いますんで」
「……お前、何なんだ? 何でそんな…さっきまでは普通だったのに!」
「桐山さんこそ何なんすか? 俺の料理うまそうに食べたり…」
「はあ?」
「歯磨き粉買って来いとか…! 何なんだよ…!」
「は…はあ? 歯磨き粉お? いや、わ…悪かったよ、自分で買うよ! 明日! 仕事帰りに!それでいいだろ!」
 おれはほとんどやけを起こしながら叫んだ。負けじと杉浦からもかんしゃくが返って来る。
「ちがう! 歯磨き粉は関係ないんですよ!」
「いやいやいやお前何言ってんの!? つうかすげえむかついてきたんだけど…! 意味分かんねえし! こっちは謝ってんだろがよ!」
「謝るとか、そういうのが嫌なんだ!」
「だからそれが意味…」
「優しいのが!! 優しいのが、嫌なんですって…」
「……。なんだそれ」
「優しいとか、嬉しいとか、そういうのが当たり前になるのが、嫌なんです……もう」
「……」
「もう、あきらめたいのに」
「……」
 そう涙声で言った杉浦は、力無くその場にへたりこんだ。さっき駅でおれがしていたように、頭を腕で抱え込む。
「あきらめたいです…、もう、面倒くさいっす……好きでいるの」
「……」
「うう」
「……泣くなよお前、杉浦将志くんよ」
「う、ううう…っ」
「…そうやってると、今までおれと過ごした素晴らしい思い出の数々が、頭の中を駆け巡らねえ?」
 おれは杉浦の前に、同じようにしゃがみこんだ。でかい杉浦でも、腰を下ろせば目の高さは同じになる。
「……別に」
「あっそう。おれは浮かんできたけどなあ…お前が最寄駅ここだっつってたなあ、とか」
「……」
「"さだはち"の向かいに住んでること話してたよなあ、とか」
「……っ、覚えて…」
「覚えてたから、ここに居るんだろオイ」
 杉浦の顔が真っ赤になったのを見て、きっとおれの顔も同じように赤くなっているのだろうと思った。こいつを喜ばせてやりたかったのだと、おれはたった今気付いたのだ。不本意ながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったこの杉浦を、自分より一回りもでかいこの男を、おれは可愛いと思った。それは、けれども本当は、この三年間で何度も思っていたことだった。
「……それから。そのあとおれが、最高に馬鹿なこと言ったよなあ、とかな」
「……。恵美ちゃん?」
「覚えてんなよ」
「んなの、歴代、覚えてますよ…胸の大きさまで、ちゃんと…」
 杉浦は顔をわずかに上げて、じとりとおれを睨みつけながら、肩をぎゅうとすくませた。おれはまたもや、ぶはっと噴き出した。
「お前そんなにおれのこと好きなんだ、はははは」
「…っ、最近の彼女は知りませんけど!」
 おれはまたちょっと笑うと、ずいっと立ち上がった。部屋をいちど見渡して、ここが随分心地の良い場所だと気付く。あんまり心地がいいから、つい甘えてしまっていたことくらい、おれにだって分かっている。
「……おれはさあ。くだらねえとは思うんけど、受身にしかなれねえんだよ」
「……」
「女にもいっつもそれで振られてた。あたしのこと好きじゃないとか何とか言われてさあ」
「……」
「…まあ、最後に振られたのは一年以上前だけど」
「え……え? え、じゃあ…今の彼女とは…1年以上も続いて…」
「……お前頭悪いんじゃない?」
「あ、分かった…今は、さっきの電話の、ナルミさんが…」
「鳴海は男だ! …だから、今は居な…」
「分かってますけど! 分かってるけど信じらんねえっつってんですよ!」
 ううう、と言いながら杉浦はまた泣き出してしまった。
「……お前泣きすぎ。叫びすぎ、キレすぎ。結構うぜえ奴だったんだなあ」
「……ずいばぜん」
「……。まあ、ギャップが可愛い? みたいな?」
 がばっ、と杉浦が顔をあげておれを見たので、おれは何だか今までの照れがすべて一度に押し寄せて来てしまったようにいっそう赤くなった。半ばヤケかもしれないが、この機に全部言ってしまわなければ、次の機会はそうは訪れないだろう。
「だからさあ…べつに、言いたいこと言ったり、聞きたいこと聞いたりしても、構わねえし」
「……ほんとに?」
「ほんと! …あと、べつに…名前とか呼んでも? か、構わねえし!」
「──かなたさん、俺のこと好きですか?」
 そう言った途端立ち上がった杉浦が、必死の形相で、ぐっと身を乗り出しておれの肩を掴んだ。その目を見ながら、おれはあの窓口での杉浦を思い出した。あの頃と変わらず、気持ち悪いくらい必死で、面白いほど可愛い奴だ。クールを気取っているおれは、昔も今も、こういうのに弱いのだった。
「…答えるとは言ってねえけど?」
「……はあ、またこれだよ、この人は……俺のこと、ラブなくせにね」
「いつそんなこと言った」
「え、今ですよ。俺も今知りましたよ」
「調子こくなよ、てめえ。別れんぞ?」
「…すんません」
 はん、と満足げに言いながら、おれはシャワーを借りるべく、さっさとバスタオルを取り出した。おれのマンションも杉浦がきちんと片付けているから、何がどこにあるかは、たいてい予想できる。案の定、バスタオルは洗濯機の脇の棚に重ねてあった。そうだ、杉浦は本当は几帳面で、うっかり屋でも不注意でも何でもない。それもこの三年間で分かっていたのだ。携帯電話を三度壊して三度も直しに来た理由だって、おれはもう、とっくの昔に分かっていた。
 風呂借りるぞ、と声をかけると、杉浦が後から名前を呼んだ。
「かなたさん」
「何だよ」
「あの…」
「何だよ?」
「俺と、恋愛してもらえませんか?」
 何を今更、と、おれはまた思う。けれども、今度ばかりはさすがのおれも、それを言葉にするべきなのだろう。すべて分かっていたはずのおれは、今まで全てを年下の杉浦に押し付けて、クールを気取ってきたんだから。
「……おれはもうずっと、そのつもりだったけど」
 もう後を振り向く必要は無かった。確かに笑顔を浮かべていると、その嬉しそうな笑い声で確信できたから。おれはまた、杉浦を喜ばせることができたのだ。当然だろう、こんなに勇気を振り絞ったのは三年ぶりだ。だから今日もあの夜のように、シャワーを長く浴びようと思う。今からじゃ遅いかもしれないけれど、赤くなったこの顔を、湯気で隠すために。




[end.]