僕達これからどうなるの
高校に入って2年近くで仙道が気付いた自分の新しい女の嗜好は、ショートカットだと言うことだ。垢抜けた栗色にデジタルパーマをかけたロングヘアーなんていうけばけばしい趣味は、どうやら中坊までで卒業したらしい。
シャワーの軽やかな音が止み、湿り気を漂わせてバスルームのアルミのドアが開いた。何人目かは定かではないけれどここ2週間ほど付き合っていることは確かなボブヘアーの女の子が、髪を拭きながらぽてぽてと歩いてきた。化粧を取ったあどけないその顔は上気していたが、仙道を見て途端に表情が曇る。
「またメールしてるの?」
可愛らしい声だったけれど、不機嫌さは特に隠して居ないようだった。しかしその指摘は、まったく的外れなものであった。彼女の言う「また」は全て同じ相手であって、それは同時に咎められるような対象ではない。
「越野だよ」
そう言った瞬間に自らの嫌疑が綺麗に晴れるかと踏んでいた仙道だったが、目の前の女の子の表情は全く変化することはなかった。仙道本人はそれを忘れていたが前にも同じ台詞を吐いたことがあったために、彼女はメールの相手が誰であるかは十二分に分かっていたからだ。
「…いっつもメールしてるよね。あたしにはしてくれないのに」
「…越野からは、来るのに返してるだけだ」
言いながら仙道は違和感を覚えていた。なぜこんな風に言い訳じみた返答をしなければならないのか、そう自分に問うていた。越野と交わすメールには、副部長とキャプテンの間でするような事務的な連絡は殆ど無く(そうした事務作業は、すべて越野ひとりでことが済んでしまうからだ)、大方が下らない内容のメールだった。今打っていたものも例に漏れず、『腹減ったー』という越野からのメールに『南蛮漬けが食いたい』というその一言だけの文章を送信したところだった。確かに、彼女と居るときに返信を要するようなメールでないことは確かだった。思い直して、パコンと携帯を閉じる。
「分かった、やめるよ」
「……別にいいけど。ホモっぽいよ、仲良すぎてなんか」
「……」
仙道が素直に携帯を置いてもなお、彼女の機嫌は直らないようだった。そんなやり取りがだんだん馬鹿らしくなってきた仙道は、はあと息をつくと、ベッドに横になった。途端に眠気が襲ってくる。セックスも済んだことであるし、寝ている間にボブヘアーの彼女が帰宅していてくれたらいい、と頭の隅で思った。
「あ、越野?」
「お?」
卒業式準備で体育館が使えず、また鎌倉では珍しく降った雪のせいでロードワークも叶わないため、今日の練習は無くなった。そんなことはつゆ知らず、エアコンのほどよく効いた教室でうっかり本格的に寝入ってしまった仙道は、体育館へ急ぐ途中で覗いた2つ先の教室に、越野がぽつんと机に向かっているのに気が付いて声をかけた。
「また寝てたのかよ」
と、越野が嫌そうな顔をして言うと、再び机に視線を向ける。窓側の席だったから、仙道もそちらのほうへ机の間を縫うようにして近寄った。
「今日練習ねえの?」
「…体育館使えねえって昨日言っただろ?外もこんなんじゃ無理ってことで」
越野が顔を向けた窓の先に、雪がはらはらと降っていた。仰いで見る雪は影をつくって灰色で、お世辞にもあまり綺麗とは言い難かった。仙道はさらに窓に寄り、越野の机のすぐ前で、そこに張られている鉄の手すりに腕をかけて外を見下ろした。雪が積もった場所から溶け始めていて、ロータリーがびしょ濡れになっている。運動部は軒並み休みのようで、外からはあまり喧騒は聞こえてこなかった。ふうん、と仙道は鼻から声を出した。越野は何やらプリントに、几帳面に文字を羅列していた。
「何やってんの?」
「練習内容まとめてんの!もうすぐ一年入ってくんだろ、それ用に!」
いかにも非難轟々という眼を仙道に向けて、越野が吼えた。仙道はえ、と今度は少なからず本当に驚いた声を出した。
「言ってくれれば、手伝うのに」
本当のことだった。煩雑な事務処理はできなくとも、一年の基礎練メニューを決めることくらいにはキャプテンとして十分に関われると思ったのだ。
「だってお前いつも彼女と一緒だし、練習オフの時間邪魔したら悪ィしよ」
「一番新しい彼女とは、昨日別れたけどな」
「まじで?」
そうは言いながら、越野はあまり驚いていないようだった。机から視線を離しもせずに、淡々とプリントに筆を走らせている。仙道の女性関係は、相手が変わるスパンこそ短いがいつもこんな調子だったからだ。
「俺から振った」
「え、うっそ。まじで?」
今度こそ頭を上げて、すこし眼を見開いて仙道を見た。仙道はそれを見て、すこし満足げな心もちになる。窓の外にまた眼を向けたが、何を見るでもなくまた口を開いた。
「珍しいだろ? つーか、初めてかなあ」
「だよなお前、『去る者追わず』きどりやがって」
「そうそう。理由何だと思う?」
「え、なになに? ……カラダの相性とか?」
「ちげえよ」
「じゃ何なんだよ」
「オマエオマエ」
「あ?」
言っている間に、この前のやりとりを思い出して、仙道はくつくつと笑い出した。結局あの日メールを返したあと、ボブヘアーの彼女は仙道のマンションに泊まって行った。そして翌日の起きがけに、昨日のことなどすっかり忘れた仙道は、越野から届いていた「南蛮漬けはすっぱい」というメールに返事をしているところを、甘えて擦り寄ってきた彼女に見られたのだった。起きぬけの機嫌の悪さと併せて3割増しにヒステリックになった彼女にとてつもないうざったさを覚えて、仙道はその場で別れを告げた。
それを砕いて越野に説明すると、越野は心底うんざりしたような顔で仙道をじとりとねめつけた。
「お前さ…俺、その子にしてみりゃ憎いカタキだぜ…勘弁してくれよ」
「まあまあ、一個上だし、もう会うこともねえよ」
「つうか、あんなメール、さっさとブチればいいだろが」
「いやあんまり下らなさすぎてブチる気にもなれねえっつうか」
ははは、と笑う仙道に対して、越野はブツブツ言いながらまた視線を下へ向け、右手を動かし始めていた。
「なあなあ俺、捨てゼリフでホモって言われちった」
「は?」
一旦はプリントに向けた視線が、再び持ち上がる。仙道はすこし気を良くして、手すりから越野の机へ肘を移動した。机の前にだらしなくしゃがみ込む。プリントに書いてある細かい字がくっきりと見えるようになり、『江ノ島-学校間 浜ラン(往復)』という身体に覚えのある怖ろしいメニューが読めてしまったが、見なかった振りをした。
「ホモって?」
「ああ、なんかな? 俺とお前が仲良すぎてホモっぽくてキモいー、みてえな?」
「ぶ!」
「ちょっと危ねー関係? っつうか越野君とあたしどっちが大事なの? みてえな」
「うっはははは! うけんだけど!」
そこまでは言われていなかったが、その話は越野の笑いを誘ったらしいので、仙道はすこし誇張した。越野は偉く笑いのツボを突かれたようで、肩を震わせてひひひ、と笑い声を上げていた。
「…笑いすぎじゃねえ?」
「ああ…わりわり」
しばらくは仙道も越野と一緒に笑っていたのだが、自分は彼女の言った言葉に対してそんなふうに笑うどころか、別れを自発的に切り出すほどの苛々を呼び起こされたということを思い出して、仙道は何だか納得いかないような心もちになる。そのせいか、越野を少しだけ困らせてみたいと思った。
「でも俺、越野とならホモになれるかもなあ」
「あぁ?」
「越野は? 俺とならホモになれねえ?」
そんな軽口にはすぐに怒鳴って否定するかと思っていた仙道の読みだったが、それは見事に外れた。越野はその言葉に、まともに考え込むようにして視線を上に向けた。うーん、と思案の声を漏らす越野の予想外の反応に、仙道はどうしてかすこし緊張する。釣り針に餌を付けていない糸が引いたような奇妙な感覚がある。その感覚に気が付いた仙道は、とりあえず呆然とした。
そのまましばらく考え込んでいた越野だったが、仙道にワンターン遅れて何かに気がついたようである。思案の表情から一転、恐ろしい自分の結論に顔をさめざめと青くして、しかしゆっくりと口を開いた。
「……なれる、かも、俺……」
「……」
「…全然、まったく、1ミリも……気持ち悪ィと思わねえ…」
自分自身の出した結論を心の底から信じられないという顔つきで、ほぼ独り言のように越野がぼやいた。仙道は仙道で、相手とまったく同じような自分の身の内の結論を全身全霊で疑いながらそれをぼんやりと聞いている。そのうち二人の眼が合った。さてどうする、と一瞬のうちに言外で目配せをする。
「とりあえず、さ…越野」
「……」
「た、確かめてみねえ?」
「え…?」
「いやだから、キスとか」
それが最善の策だと思って冷静に呈してみた仙道だったが、その言葉に今度こそ越野が動揺した。青い顔を一気に赤く上気させ声も出せない程に驚いた越野を眺めて、一瞬呆気にとられた仙道はしかし、すぐにニヤリと笑った。越野のその表情を見て、両人共にもう確かめる必要がないことは分かっていたが、野暮は言うまいと越野の頬に右手を伸ばす。かつてないくらいに緊張していたが、それがより仙道の確信を裏付けた。ボブヘアーの彼女が放った一言に、今度は苛立ちではなく感謝の念を感じながら、仙道はゆっくりと眼を閉じた。
[end.]