僕らの明日はどこにある
仙道は呻いた。呻いたあと、前の席の越野宏明を見た。仙道が色に出すには少々珍しい煩わしげな視線に、目聡い越野はカレーパンを頬張りながら
瞬時に気付く。しかしなにぶん食い盛りの彼は、なんだよ、と言う分の時間さえ惜しんで、中身の飛び出しかけたカレーパンを口いっぱいに頬張った。仙道はま
た、ああ、と嘆きのような呻き声を出す。その様子を見て、とうとう越野が、
「なんなんだよ」
と聞いた。うるさい黙れ、とは、言外で。最後の一口を口に押し込んで咀嚼しながら、空いた両手ではもう次の焼きそばパンの袋を思い切り良く破っていた。
どうやら今の越野の最大の関心事は、いかに多くの炭水化物を胃に詰め込むか、ということらしかった。
「…トイレ」
仙道はそう言って、がたりと椅子を鳴らした。越野はちらと仙道を見たが、当然のように腰を落ち着けたままだった。そのまま立たずに押し黙ると、越野が苛
立ったような眼で仙道をねめつけた。それも当然だったが、しかし仙道もまた、承服しかねるような顔をして越野を見る。そして言った。
「あのさ」
「あ?」
「少しくらい、らしい態度とらねえ? ふつう」
「はあ?」
「その何もない感じとか、なに」
「は? なにが?」
「なにがって、……こないだのナニだけど」
「──あ、あれか」
やっと合点のいったような顔に、仙道は僅かに息をついた。一週間半も経つものだから、本当に忘れていたのかと思っていたのだ。しかし「あれ」という何で
も無さそうな言い様と、話題に乗せるのを躊躇っていたわけでは無かったという事実が、仙道の苛立ちを誘った。忘れてはいなかったが、忘れかけていたのだっ
た。
「越野さ、あれの意味分かってんの?」
「……」
「分かってんのかよって」
「お前さあ」
畳み掛ける仙道の言を、越野の低く弛んだ声が遮った。その後に続く台詞の続きを予想できて、仙道は思わず眉をひそめるも、それ以上言葉は紡がなかった。
越野はその沈黙に揺らぐことなく、けれど視線だけ仙道からふと外して話を続ける。
「男同士で、意味なんてあんのかよ」
ふいと、本当に興味が無いような、そんなぼんやりした視線で越野は窓の外を見た。これ以上話を続ける気がないようだった。焼きそばパンはまだ半分以上
残っていて、思い出したようにそれに噛み付いている。仙道はひとつ舌打ちをすると、今度こそ席を立ち上がった。
「めんどくせえ」
と、そう一言だけ吐き出すと、仙道は教室のドアに向かってずんずん歩いた。こんなに苛立っているのも煩わしいのも、ずいぶんと久方ぶりだった。その原因
となっているものの性質に限って言えば、苛立つのも煩わしくなるのも、初めての経験だった。仙道は教室の後方のドアから一歩出る。そこで後ろを振り向く
と、越野はやはり窓の外をぼんやり眺めていた。感じていた苛立ちと煩わしさが、別のものに変わる。仙道は自覚していた。仙道は身体を翻すと、来た経路をそ
のまま引き返した。大股で近づいて、椅子を引いて元の席に腰かける。戻ってきた仙道に、越野は不審そうな視線を投げかける。当然だった。越野の反応は何も
かも当然ではあるが、けれども、あいだに在るものが「当然」ではもう仙道の気が済まない。
「俺はね、越野」
「……なんだよ」
「意味を、持たせたいわけだけど」
「……」
「あのキスに」
最後の言葉はさすがに小声で言った。ここが教室だということを忘れていた訳ではなかったが、仙道にとってはどうでも良かった。
「………まじかよ」
越野が、はあ、と頭をうな垂れる。どうやら仙道の言を全く予想していなかったわけではないと知ると、仙道は少し気持ちが浮き足立つのを感じた。ただ意識
してくれれば、それでいいのだ。少しずつ観念していく姿も見物ではある。初めの手合いから、既に勝算の見えた試合だった。
仙道のそんな思惑をよそに、けれども、越野はぼそりと突然言葉を紡いだ。今度は仙道の予想の範疇を大きく逸していた。
「…別にいいけど。それなら、掘られんのはてめえだぞ」
越野の中で、思考は存外に進んでいるようだった。それを喜ぶべきか、越野の主張に抗議の声をあげるべきか、仙道には判別し難かった。仙道の喉元から吐き
出されたのは、相も変わらずおかしな呻き声だけだった。
[end.]